「涙」と「ため息」の卒園式

先週末は、息子の卒園式に参加した。

0歳から2歳児クラスまで通った小規模保育園を卒園し、この4月からは別の保育園に通うことになる。ひとクラス5人~7人の園児の保育を限られたスペースで行う小規模保育園は、園児も先生も家族のようにとても近い存在になる。担任の先生はとても若く、新卒でこの保育園に就職し初めて3年間継続して保育を行ったのが息子のクラスだとか。ママアフリカもびっくりするようなフレッシュで大きな愛情をすべての園児に注いでくれた。

毎日の保育生活から、恐らく出産後の私よりも母性に満ち溢れているのであろうこの担任の先生、卒園式の開始から終わりまでずっと大号泣。そんな先生の大号泣につられ園児のママ達も大号泣。主役である園児達は「先生、なんで泣いているの? 花粉症つらいの?」となぜ大人たちが号泣しているのか理解していない。そんな中、「はぁ~」と大きなため息が。隣を見ると、スウェットを着たアフリカ人の夫が、携帯でお笑い動画を見ながらため息をついている。私はハンカチで涙を拭きながら夫の様子を伺うと一言、”Too Much”(やりすぎだろ。)と吐き捨てた。その言葉を聞き一瞬で流れていた涙が乾いた私は、急に冷静に周りを分析し始めた。「確かに、主役である園児達は自分が卒園しているということを認識していないのに、大人だけが大号泣しているのは滑稽ではないか。」と心の声。

卒園式が終わって帰り道、「日本の卒園式はどうだった?」とアフリカ人の旦那に聞くと「厳粛すぎる、誰の卒園式かわからん、お葬式みたい、なんで泣く?」とネガティブワード続出(笑)。日本のお涙大好き文化に、カルチャーショックを受けた卒園式となった。

夕食前のスナックタイム

以前、3年ほどインドに住んでいたことがある。

20歳で自立と刺激を求めて上京。がむしゃらに働いた10年を終え東京の生活が安定したことを皮切りに海外移住の欲望がわき始めたちょうどその頃、同僚の結婚式に招待され生まれて初めてインドを訪れた。カラフルな民族衣装や独特な宗教観などに魅了され、その翌年首都であるニューデリーで仕事を見つけ移住した。

日本と同じくらい(いや、それ以上かも)ユニークな文化をもつインドの生活は、生後30年以上をかけて構築された私の固定概念をことごとく打ち破ることになる。当時受けたカルチャーショックは数知れないが、その中の1つにスナックタイムの存在がある。日本にもおやつの時間は存在するが、それとは比ではないボリュームのおやつを17時頃に食べる。ストリートフード文化が浸透しているインドでは仕事後の帰宅道中でサモサやチョーレバトゥーレなどの癖になるスナックを安価で簡単に手に入れることができる。スナックのボリュームがそれなりにあるので「1日4食」と言っても過言ではない。17時ごろスナックを食べると必然的に夕食の時間は遅くなる。夜レストランへ外食に行くと、ちょうど我々が食べ終わる21時ごろからインド人の家族がぞろぞろ現れ満席になる。インド人の友人宅にホームスティに行っても晩御飯は遅く食後洗い物などはせずにすぐに就寝するお宅が多かったことを覚えている。「食後2時間は就寝しない」「食後すぐ寝ると牛になる」と言われて育った私には違和感があり、あり得ないと思った記憶がある。

さて、このあり得ないスナックタイム制度。現在我が家でもアフリカ人の夫により導入され習慣化されている。勤務後、私が帰宅するのは18時半ごろになるのだが、ちょうどそのころに夫と3歳になる息子はスナックタイム(食パン1枚)を楽しんでいる。ルールが少ないアフリカの家庭(9人も子供がいたらルールとか言っていられないだろう。)で育った夫には、空腹時に好きなものを食べることがとても幸せな事でそれを息子に夕食の時間まで我慢させるのは可哀そうだと感じているようだ。そして必ず夫は私のためにチャイをマグカップに並々注いで出してくれるのだ。仕事の頭を切り替えるのにチャイをのんびり飲んでボ~っと一息つけとポーレポレ指導が入る。始めは「夕食前にこんなに大量のチャイを飲むなんて」「のんびりしていたら19時に夕食食べて21時には就寝できない」と、固定概念との闘いが繰り広げられていたが、最近は30分くらいかけてチャイを飲みながら息子と保育園で何があったかなどを話す時間に充てる。その後のんびり夕食を準備し20時半ごろから夕食を食べる。

夜遅くに食事するのは、消化によくないのでは?太る原因になるのでは?と未だに違和感があるものの、帰宅後のチャイタイムは私のお気に入りの時間になりつつあると同時に夕食前のスナックタイムは息子のお気に入りの時間のようだ。

ダイバーシティ(多様性社会)に生きる

先日、勤務先の親会社からトレーニングで若手2名がアメリカから出張に来日した。

気になるお土産は “Wire”というロゴの入ったキーフォルダーとトートバッグ、そして女性の社会進出を推進する内容の子供向けの絵本や塗り絵と盛りだくさん。早速「Wireって何?」と質問をしてみると”Women in Renewable Energy“の略で、再生可能エネルギー業界で活躍する女性のグループ名だそうだ。社内でグループが設立され5年経っており現在彼女はそこで役員をしているとのことでいろいろ話を聞いてみた。

活動内容は、定期的に女性社員達がミーティングを開催し自分の仕事内容や役割、家庭のこと、ワークアンドライフバランスについてカジュアルに意見交換をする。男性でも興味のある社員は参加し自由に意見ができ、時々社外の同様の団体とも交流を持つそうで、さすがダイバーシティが進んでいるアメリカと関心。社内には、女性だけでなくアジア人や黒人、性同一性障害などのグループも存在しヤル気や悩みを共有する場となっているとのこと。

ふと、昨年オーストラリアに移住した韓国人の友人のことを思い出した。彼女は日本で長年生活をしていたが、上の娘さんが小学校へ進級するタイミングでオーストラリアへ家族で移住した。理由は、娘を日本の学校へ行かせなくなかったと聞き驚くと同時にショックを感じた。外国人からみると男性優位な社会が、日本にはまだ根強く残っているようだ。日本で教育を受けて育った私たちには感じにくいところなのかもしれない。韓国も日本と同様なのではと思い聞いてみると、「韓国人の女性は強いから。そのような社会に気づき変えようと立ち上がるとすごいのよ。」とのこと。

この話をアフリカ人の夫にしてみた。アフリカでも男性優位な社会は、未だに残っている。夫の母親が来日した際、夫が料理をする姿を見て相当ショックを受けていた。夫の親世代は、男性がキッチンに入ることはタブーなくらい、家事は女性の仕事。もちろん女性の社会進出は日本よりも遅れをとっていたが、最近はかなり状況が変化しているようだ。夫も「アフリカ人の女性は強いから。」と言う。

女性が社会進出しやすくなったのは、ずいぶん昔の話ではあるが、未だに日本企業の役職者は男性が女性よりも圧倒的に多く、アシスタントや派遣社員は女性が男性より圧倒的に多い。そのような社会を日本人女性は受け入れているように感じる。Wireのようなグループ活動も日本ではあまり聞いたことがない。「女性は男性の一歩後ろで謙虚に男性を支える」という昔ながらの美学からなのか。記者会見などで、謝罪する日本企業の役職者団男性を見て、「家族を守るため男が前を歩き、すべての責任をとる」という昔ながらの侍魂からなのか。

理由はいろいろあるかもしれないが、日本人女性として謙虚ながらも強く、主張すべくことは主張できるような勇気を持とう!そして外国人の旦那を持ちハーフ(ダブルというのか。)の息子を持つ母親としてもダイバーシティについて意識し勉強していきたいと思った。

アフリカ夫の男飯

共働きをしている我が家では、週に2~3回は夫が晩御飯を作る。

当番制という訳でもなく、料理好きと言う訳でもない。夫がその日食べたいものがあると、進んで準備を始めるという感じだ。その背景には、私が作る野菜と魚中心の和食だとエネルギー不足だと感じる場合が多いらしく、それを避けるためにも隔日は「ガッツリ系」のメニューを夫自ら料理する。そして3歳になる息子は、私の和食よりも夫の作る食事の方が好きなようだ。

そんなアフリカ人夫の男飯メニューベスト5

ベスト5・・・マンダジ 週末の朝食は、だいたいマンダジ。小麦粉と水を発酵させ油で揚げる揚げパン。ココナッツミルク、牛乳、シナモンなどを加えたりもする。

ベスト4・・・ビーフトマト煮 ビーフは、和牛よりも赤身の多い輸入ビーフを好む。ビーフを玉ねぎとトマト、ピーマンやナスなどその時ある野菜で炒める。最後にターメリックを加えて出来あがり。

ベスト3・・・チキングリル 1羽丸ごとチキンをカットして、ジャガイモやニンジンなどと一緒にオーブンでグリル。シンプルな塩味だけで美味しい一品。

ベスト2・・・エビとトマトのココナッツ煮 冷凍のエビを玉ねぎとトマトで炒めココナッツミルクを投入し煮る。最後にコリアンダーをのせて出来上がり!

ベスト1・・・チャパティー インドの家庭料理として有名な薄いパン。夫の出身国はイギリス統治されていた歴史がある関係か、インドの食文化の影響を受けているようだ。夫は、常にYou Tubeなどでレシピを研究し日々上達しており、カレーなどを付けて食べるのが一般的だが、チャパティーだけでも美味しく頂けるくらいに腕を上げている。

トウモロコシ粉が主食だが、日本では手に入れることが難しく、その代わりに小麦を摂取したがる傾向があるようだ。後はやはりお肉が大好き。お米と魚で育った私にとっては順応し難いメニューだが、毎週食べていると家庭の味になってくる。毎日ではなく隔日なので胃もたれも今のところ起こしていない。一方で、夫も私の作る和食をいつも残さず完食してくれる。(水炊きだけは、禁止令が発令済み。)

国際結婚で永久に平行線になりやすいと言われる食生活の違い。我が家は、分業をすることで今のところ何とかうまく行っている。

アフリカ人は綺麗好き?

アフリカ人の夫はとても綺麗好き。

日常の洗濯や部屋の掃除はもちろん、カーテンやカーペット、靴やリュックなどもコマメに手洗いをする。歯磨きも歯ブラシやフロス、木の枝(松や杉の小枝の先をバサバサにして歯の表面に付着した汚れをとる。)を使用し毎日丁寧に磨く。週に1度は30分くらいかける。

夫の性格かと思っていたが、アフリカ人達(複数国)の家を訪問し、どの家も家財道具が整頓されており、無駄がなくとても綺麗なので最近は国民性だと思っている。

古いものでも手間暇かけ丁寧にメンテナンスし寿命を延ばすという習慣が身についているようで、その習慣が綺麗好きに繋がっているのではと、彼の日々の生活を分析する。

それがアフリカ独特の貧困生活の知恵からなのか、自然と共存するという観点なのかは不明だが、とにかく「物を大切にする」という事においてのスーパースペシャリストだ。

消費社会の真っただ中の日本で生まれ育った私は、新しいものや流行を追い物欲を満たすことが人生の向上や幸せに繋がると思っていた。汚れたものは捨てて新しいものを買えばよいと思っていた。彼と生活して3年経つ今、その思想は消えつつある。

「物を大切にする」→「物への愛着がわく」→「買い物の回数が減る」→「所有物が減る」→「部屋やクローゼットが常に片付いている」→「拭き掃除や整理整頓がしやすくなる」

このループが最近の私の欲を満たしてくれている。

Giver or Taker? (与える人でありたいか、与えられる人でありたいか。)

インドから親友が一時帰国すると連絡が来た。3年ぶりの帰国で、嬉しさのあまりアフリカ人の夫に報告し帰国を楽しみに待っていた。報告がきた数日後、親友から「旦那さんからチャイの葉っぱとトウモロコシの粉を買ってきてほしいと連絡がきたけど、他に欲しいものはない?」とメールが来た。連絡先も知らない私の友人にどうやって連絡を取ったのかとアフリカ人の夫に問い詰めるとFace Bookで私の友人から彼女の名前を探して、メッセンジャーでメールを送ったという。3年ぶりの帰国なので、荷物やお土産の量は半端ではないことや、帰国前の準備で忙しいということは誰でも想像ができる。そんな中、重量もあるチャイの葉やトウモロコシの粉(いずれもKg単位のもの)を、私に知らせずに勝手に頼んだことがとても不快だったと伝えると「友人だったら欲しいものを買ってきてほしいというのは当たり前だろう。前回帰国のときは我が家にホームステイした訳だし。」と夫から反論。この件は、古くて家族のような親友の親切心に甘えて私が折れることにした。

1週間後に、別の私の友人から結婚式の招待を受ける。彼女の旦那様もアフリカ人でアフリカからご両親が来日するとのことだ。夫にこのことを伝えると、またしても「トウモロコシの粉を買ってきてくれと両親に頼んでくれないか」と私に内緒で友人の旦那に依頼したという。(結局、荷物が多いので持ってきてもらえず手に入らなかった。)

昨日は、見知らぬアフリカ人がトウモロコシの粉を届けてくれた。近所の薬局の前で出くわしたらしく、トウモロコシの粉の在庫があるか聞いたら分けてくれたという。

やれやれ。

私自身、昔から常にGiverでありたいという意識が強い。

物を貰ったり何かしてもらうよりも、自分が何かをあげたり、何かしてあげる方が喜びを感じるのだ。その方が、自分の成長にも繋がると信じている。夫は真逆のTakerだ。

日本では、友人の家に招待されると必ず手土産を持参する。夫の国では、招待した方が手土産を準備しなければ行けない。初めは遊びに来るアフリカ人の友人が、「これもくれ」「これもくれ」と残った食べ物などを根こそぎ持って帰ろうとすることに驚いた。

「人に頼む」という行為は恥ずべき無神経な行為に近い日本だが、夫の国では「親友の証」のようだ。文化の違いなので受け入れなければいけない。

神は、生涯Giverでありたいと願っている私を試したいのであろうか。 最も身近なところに潜む大敵「Taker」との闘いはまだ始まったばかりだ。

家族旅行+α

7月の3連休は2泊3日で香川県へ。香川県へ移住した友人が、毎年この時期になると香川県のいいところをギューーーっと詰め込んだ旅行の提案を送ってくれる。遠浅で波が殆どない瀬戸内の海は、3歳の息子にとっては最高の遊び場で日が暮れるまで全身を使って動きまわる。

今年で3回目となる香川旅行は、私の旅好きな友人達の間で大人気。参加者は我が家含め大人10人子供3人と大所帯の旅となった。

アフリカ人の夫は、こうしたグループ旅行(もちろん外国人は彼だけだ。)に喜んで参加してくれる。はじめは日本語ばかりで会話に入れず申し訳ないという気持ちで、何とか輪に入れるよう英語で話したり共通の話題を探したりと気を遣ったが、あるとき、その気遣いが心地悪かったのか「僕のことは気にせず、友人と楽しんでくれていい。」と断言された。

それ以降、我々の旅行は常に「自由時間・自由行動」で成り立っている。皆、夫のことを理解し「自由」を与えてくれ、友人たちと日本語で盛り上がって話をしていても、となりでは、夫がパソコンで動画を見たり、アフリカの家族と電話で話したり、いびきをかいて寝ていたりとポレポレ感(スワヒリ語で、ゆっくりリラックスしての意)満載となる。

そんな中、息子もどっぷりポレポレに浸り、持ってきたオモチャでもくもくと遊んでくれる。

ふと、9人兄弟+α(近所の子や親せきの子が必ずいる)の大家族で育ったアフリカの夫の実家はいつもこんな感じだったんだろうなーーーっと感じる。1つ屋根の下、大勢が時間を共有するだけで得られる安心感の中、自分の好きなことに取り組む至福の時間。核家族が進む日本では得ることが難しくなっているこの至福の時間を、これからも息子に与えて続けて行きたいなぁっと思う。

ストレスサインを見逃すな!

ここ最近、アフリカ人の夫のズル休みが目につく。

夫婦間では「明日有給をとる」というような連絡は基本的には取り合わないのだが、いつも早朝に家を出る夫が朝起きるとチャイを飲みながらテレビを見ているので「今日は休み?」ときくと「病欠にした。ストレスがひどく回復には2日かかると思う」と答えが返ってくる。

「具合悪いの?どんな症状?」と聞くと決まって「心が痛むんだ。」と何とも乙女チックな回答。日本でよく耳にするストレスサインは、睡眠障害や食欲不振、肩こりやめまいなど身体に症状が出始めているものをさすことが多いような気がするが、夫はそこまでに到達する前の段階でストレス解消を行っているようだ。勤務先のマネージャーと気が合わず、口喧嘩をした次の日は大体病欠を取っている。既に病欠の残数はないだろうから減給になっていると思うがそんなことはお構いないようだ。(居酒屋に飲みに行くことは避け、コンビニでビールを買って公園で飲むことが常であるスーパー節約家の夫なのにだ。)

夜、私が帰宅して「今日はゆっくりできた?何してたの?」と聞くと「1日中コメディー番組を見て笑いまくった」と嬉しそうに話す。「でも念のため明日も休もう!」と大体2日間療養に充てる。社会人生活24年になる私だが、人間関係で心が痛んだことは数えきれないくらいあるが、ストレスで会社を休んだことは1度もない。人間関係を上手に構築するためには自分の意見や考えを全面に出すことは控え、まずは相手に合わせることが最良だとサラリーマン生活で学んだことだ。

昔インドで働いたことがあったが、インド人も病欠を取ることが多かった。インド人の同僚に「病欠は今まで取ったことがない。会社の人に迷惑かけたくないから。」と話したことがあったが、「私にはそういう考えは全くない。自分が一番大切だから。」とスパッと言われたことがあった。

今日は七夕。息子の保育園で作る短冊を今年は旦那が記載した。

“Hope understanding who I am earlier” (いち早く自分を理解できますように)

この願いを理解できる人が日本にはどのくらいいるのだろうか。

自分が自分であるために最善を尽くす夫と、他人のために自己犠牲を払いがちな私。

どちらが良い悪いではないが、息子には自分自身を十分愛し、かつ他人も愛せるような柔軟性や忍耐力のある大人に育ってほしい。

3歳、お誕生日おめでとう!

今日息子が3歳に!この3年間、初めてのことだらけだった。

っと言っても我が家は、母親である私が一家をささえる大黒柱として働いているので育児はアフリカ人の夫がメインで担っている。9人兄弟の4番目に生まれ育った夫は、育児書やインターネットなどの情報を何一つ参考にせず、兄弟の子育てを手伝っていた時の記憶だけで立派に息子を育て上げている。(親バカだが。)

そんな夫が唯一信頼している育児のお手本が自分の「ママ」だ。「ママは、こうしていた、こう言っていた」とよく口にするので、「ちっ、このマザコン野郎め」と話半分に聞きながしていたが、「ママ」の教えは真っ当ではないかっと思ったことがこの3年の間に何度もあった。夫の「ママ」は自分の子供9人以外に、両親と死別した孫3人、家族に恵まれなかった近所の子供を2人、自分の夫と愛人の間にできた子供2人と、合計16人を育てあげた。少子化が進む日本では信じられない数字だが、アフリカではよくある話らしい。子育ての経験値が圧倒的に高いのだ。

そんなアフリカ人の夫と義母を通して学ぶ、シンプルだけど時に厳しいアフリカ式子育て日記をこれから書き留めていこうと思う。

まずは息子よ、3年間健やかに育ってくれてありがとう!