「メンター制度」と「アフリカスラム」

※題名は、双方関連性はまったくなく、ただ2つのキーワードが同日に飛び込んできただけ。

昨日職場で「メンター研修」を受講した。

ここ最近、私の勤務先では中途採用で入社する社員が増えている。合わせてテレワーク制度が導入されるという環境下で、社員同士のコミュニケーションが希薄になっているという現状をどうにかしようと、人事部が10月よりメンター制度を取り入れた。

メンター(先輩)がメンティー(後輩。新しく入社した社員。)の面倒を半年間にわたってみると言うこの制度。月に1度メンターがメンティ―をランチ(ランチ代は会社負担)に連れて行き、悩みがないか、不安はないかなどを聞き出し、人事部に報告する。

1日かけて研修で学んだことは、「目を見て親身になり話を聞く」「不安を煽らないよう否定的な発言はさける」「月に1度のランチ以外でも、メンティーの様子を見て声をかけるようにし、暗い様子はないかなどを観察する。」「言いづらいことでも、なんでも話せるような関係性を作れるよう直球質問は避ける」「守秘義務は守る」など。

当たり前のような事だが、コミュニケーションをとる際に重要な点を再認識でき有意義な内容だと感じた。

その夜友人が、私に紹介したい女性がいると連絡がきた。その女性とはアフリカ最大級のスラム街で孤児たちでも通学できるフリースクールを30年ほど経営する日本人女性だった。

早速、彼女の活動を紹介する動画を見ていると、「雨の日は、盗電するために自分たちで引いた電線に触れ感電死する人が絶えない」や「警告なく政府のブルドーザーがやってきて、スラム内の一定の区域に建つ住居を一斉撤去する」「干ばつが続くと隣接されるゴルフ場から流れる下水で洗濯をして飲み水にもする」などの事例が紹介されていた。そこにアフリカ人の夫が帰ってきた。彼も幼少期から大人になるまでスラム街で育った経験を持つ。「このスラムはハードシップレベルが底抜けに高くて有名。現地の人たちでも、近づきがたいエリアだよ。この日本人女性はただ者ではないね~」とコメント。

ふと、このスラムで育った人達(アフリカ人の夫でも良いが。)が、今日私が受講したメンター研修を受けたら何を感じるだろう、きっと研修の意味すら理解できないだろうな。と感じた。(だから日常の生活でも夫婦間で価値観が全く違うことは納得できる。)

死ぬ間際でも死んだ後でもどっちでも良いが、「人生の価値を評価する人」みたいな人がいたら、どのように評価するだろう。

◆相手の気持ちを考え、相手が困っていたら「困っている」と言えるような関係性を自ら構築し、助けられることがあれば誠心誠意で助けることが出来た人生。

◆自分が生き残るために、苦労や不幸なことには目を向けず、周りと戦ってでも這い上がる力を得ることが出来た人生。

どちらも素晴らしい人生ではあるが、日本で生まれ育ったことに感謝した1日だった。

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アフリカ人は綺麗好き?

アフリカ人の夫はとても綺麗好き。

日常の洗濯や部屋の掃除はもちろん、カーテンやカーペット、靴やリュックなどもコマメに手洗いをする。歯磨きも歯ブラシやフロス、木の枝(松や杉の小枝の先をバサバサにして歯の表面に付着した汚れをとる。)を使用し毎日丁寧に磨く。週に1度は30分くらいかける。

夫の性格かと思っていたが、アフリカ人達(複数国)の家を訪問し、どの家も家財道具が整頓されており、無駄がなくとても綺麗なので最近は国民性だと思っている。

古いものでも手間暇かけ丁寧にメンテナンスし寿命を延ばすという習慣が身についているようで、その習慣が綺麗好きに繋がっているのではと、彼の日々の生活を分析する。

それがアフリカ独特の貧困生活の知恵からなのか、自然と共存するという観点なのかは不明だが、とにかく「物を大切にする」という事においてのスーパースペシャリストだ。

消費社会の真っただ中の日本で生まれ育った私は、新しいものや流行を追い物欲を満たすことが人生の向上や幸せに繋がると思っていた。汚れたものは捨てて新しいものを買えばよいと思っていた。彼と生活して3年経つ今、その思想は消えつつある。

「物を大切にする」→「物への愛着がわく」→「買い物の回数が減る」→「所有物が減る」→「部屋やクローゼットが常に片付いている」→「拭き掃除や整理整頓がしやすくなる」

このループが最近の私の欲を満たしてくれている。

Giver or Taker? (与える人でありたいか、与えられる人でありたいか。)

インドから親友が一時帰国すると連絡が来た。3年ぶりの帰国で、嬉しさのあまりアフリカ人の夫に報告し帰国を楽しみに待っていた。報告がきた数日後、親友から「旦那さんからチャイの葉っぱとトウモロコシの粉を買ってきてほしいと連絡がきたけど、他に欲しいものはない?」とメールが来た。連絡先も知らない私の友人にどうやって連絡を取ったのかとアフリカ人の夫に問い詰めるとFace Bookで私の友人から彼女の名前を探して、メッセンジャーでメールを送ったという。3年ぶりの帰国なので、荷物やお土産の量は半端ではないことや、帰国前の準備で忙しいということは誰でも想像ができる。そんな中、重量もあるチャイの葉やトウモロコシの粉(いずれもKg単位のもの)を、私に知らせずに勝手に頼んだことがとても不快だったと伝えると「友人だったら欲しいものを買ってきてほしいというのは当たり前だろう。前回帰国のときは我が家にホームステイした訳だし。」と夫から反論。この件は、古くて家族のような親友の親切心に甘えて私が折れることにした。

1週間後に、別の私の友人から結婚式の招待を受ける。彼女の旦那様もアフリカ人でアフリカからご両親が来日するとのことだ。夫にこのことを伝えると、またしても「トウモロコシの粉を買ってきてくれと両親に頼んでくれないか」と私に内緒で友人の旦那に依頼したという。(結局、荷物が多いので持ってきてもらえず手に入らなかった。)

昨日は、見知らぬアフリカ人がトウモロコシの粉を届けてくれた。近所の薬局の前で出くわしたらしく、トウモロコシの粉の在庫があるか聞いたら分けてくれたという。

やれやれ。

私自身、昔から常にGiverでありたいという意識が強い。

物を貰ったり何かしてもらうよりも、自分が何かをあげたり、何かしてあげる方が喜びを感じるのだ。その方が、自分の成長にも繋がると信じている。夫は真逆のTakerだ。

日本では、友人の家に招待されると必ず手土産を持参する。夫の国では、招待した方が手土産を準備しなければ行けない。初めは遊びに来るアフリカ人の友人が、「これもくれ」「これもくれ」と残った食べ物などを根こそぎ持って帰ろうとすることに驚いた。

「人に頼む」という行為は恥ずべき無神経な行為に近い日本だが、夫の国では「親友の証」のようだ。文化の違いなので受け入れなければいけない。

神は、生涯Giverでありたいと願っている私を試したいのであろうか。 最も身近なところに潜む大敵「Taker」との闘いはまだ始まったばかりだ。