夕食前のスナックタイム

以前、3年ほどインドに住んでいたことがある。

20歳で自立と刺激を求めて上京。がむしゃらに働いた10年を終え東京の生活が安定したことを皮切りに海外移住の欲望がわき始めたちょうどその頃、同僚の結婚式に招待され生まれて初めてインドを訪れた。カラフルな民族衣装や独特な宗教観などに魅了され、その翌年首都であるニューデリーで仕事を見つけ移住した。

日本と同じくらい(いや、それ以上かも)ユニークな文化をもつインドの生活は、生後30年以上をかけて構築された私の固定概念をことごとく打ち破ることになる。当時受けたカルチャーショックは数知れないが、その中の1つにスナックタイムの存在がある。日本にもおやつの時間は存在するが、それとは比ではないボリュームのおやつを17時頃に食べる。ストリートフード文化が浸透しているインドでは仕事後の帰宅道中でサモサやチョーレバトゥーレなどの癖になるスナックを安価で簡単に手に入れることができる。スナックのボリュームがそれなりにあるので「1日4食」と言っても過言ではない。17時ごろスナックを食べると必然的に夕食の時間は遅くなる。夜レストランへ外食に行くと、ちょうど我々が食べ終わる21時ごろからインド人の家族がぞろぞろ現れ満席になる。インド人の友人宅にホームスティに行っても晩御飯は遅く食後洗い物などはせずにすぐに就寝するお宅が多かったことを覚えている。「食後2時間は就寝しない」「食後すぐ寝ると牛になる」と言われて育った私には違和感があり、あり得ないと思った記憶がある。

さて、このあり得ないスナックタイム制度。現在我が家でもアフリカ人の夫により導入され習慣化されている。勤務後、私が帰宅するのは18時半ごろになるのだが、ちょうどそのころに夫と3歳になる息子はスナックタイム(食パン1枚)を楽しんでいる。ルールが少ないアフリカの家庭(9人も子供がいたらルールとか言っていられないだろう。)で育った夫には、空腹時に好きなものを食べることがとても幸せな事でそれを息子に夕食の時間まで我慢させるのは可哀そうだと感じているようだ。そして必ず夫は私のためにチャイをマグカップに並々注いで出してくれるのだ。仕事の頭を切り替えるのにチャイをのんびり飲んでボ~っと一息つけとポーレポレ指導が入る。始めは「夕食前にこんなに大量のチャイを飲むなんて」「のんびりしていたら19時に夕食食べて21時には就寝できない」と、固定概念との闘いが繰り広げられていたが、最近は30分くらいかけてチャイを飲みながら息子と保育園で何があったかなどを話す時間に充てる。その後のんびり夕食を準備し20時半ごろから夕食を食べる。

夜遅くに食事するのは、消化によくないのでは?太る原因になるのでは?と未だに違和感があるものの、帰宅後のチャイタイムは私のお気に入りの時間になりつつあると同時に夕食前のスナックタイムは息子のお気に入りの時間のようだ。

ストレスサインを見逃すな!

ここ最近、アフリカ人の夫のズル休みが目につく。

夫婦間では「明日有給をとる」というような連絡は基本的には取り合わないのだが、いつも早朝に家を出る夫が朝起きるとチャイを飲みながらテレビを見ているので「今日は休み?」ときくと「病欠にした。ストレスがひどく回復には2日かかると思う」と答えが返ってくる。

「具合悪いの?どんな症状?」と聞くと決まって「心が痛むんだ。」と何とも乙女チックな回答。日本でよく耳にするストレスサインは、睡眠障害や食欲不振、肩こりやめまいなど身体に症状が出始めているものをさすことが多いような気がするが、夫はそこまでに到達する前の段階でストレス解消を行っているようだ。勤務先のマネージャーと気が合わず、口喧嘩をした次の日は大体病欠を取っている。既に病欠の残数はないだろうから減給になっていると思うがそんなことはお構いないようだ。(居酒屋に飲みに行くことは避け、コンビニでビールを買って公園で飲むことが常であるスーパー節約家の夫なのにだ。)

夜、私が帰宅して「今日はゆっくりできた?何してたの?」と聞くと「1日中コメディー番組を見て笑いまくった」と嬉しそうに話す。「でも念のため明日も休もう!」と大体2日間療養に充てる。社会人生活24年になる私だが、人間関係で心が痛んだことは数えきれないくらいあるが、ストレスで会社を休んだことは1度もない。人間関係を上手に構築するためには自分の意見や考えを全面に出すことは控え、まずは相手に合わせることが最良だとサラリーマン生活で学んだことだ。

昔インドで働いたことがあったが、インド人も病欠を取ることが多かった。インド人の同僚に「病欠は今まで取ったことがない。会社の人に迷惑かけたくないから。」と話したことがあったが、「私にはそういう考えは全くない。自分が一番大切だから。」とスパッと言われたことがあった。

今日は七夕。息子の保育園で作る短冊を今年は旦那が記載した。

“Hope understanding who I am earlier” (いち早く自分を理解できますように)

この願いを理解できる人が日本にはどのくらいいるのだろうか。

自分が自分であるために最善を尽くす夫と、他人のために自己犠牲を払いがちな私。

どちらが良い悪いではないが、息子には自分自身を十分愛し、かつ他人も愛せるような柔軟性や忍耐力のある大人に育ってほしい。