インドから親友が一時帰国すると連絡が来た。3年ぶりの帰国で、嬉しさのあまりアフリカ人の夫に報告し帰国を楽しみに待っていた。報告がきた数日後、親友から「旦那さんからチャイの葉っぱとトウモロコシの粉を買ってきてほしいと連絡がきたけど、他に欲しいものはない?」とメールが来た。連絡先も知らない私の友人にどうやって連絡を取ったのかとアフリカ人の夫に問い詰めるとFace Bookで私の友人から彼女の名前を探して、メッセンジャーでメールを送ったという。3年ぶりの帰国なので、荷物やお土産の量は半端ではないことや、帰国前の準備で忙しいということは誰でも想像ができる。そんな中、重量もあるチャイの葉やトウモロコシの粉(いずれもKg単位のもの)を、私に知らせずに勝手に頼んだことがとても不快だったと伝えると「友人だったら欲しいものを買ってきてほしいというのは当たり前だろう。前回帰国のときは我が家にホームステイした訳だし。」と夫から反論。この件は、古くて家族のような親友の親切心に甘えて私が折れることにした。
1週間後に、別の私の友人から結婚式の招待を受ける。彼女の旦那様もアフリカ人でアフリカからご両親が来日するとのことだ。夫にこのことを伝えると、またしても「トウモロコシの粉を買ってきてくれと両親に頼んでくれないか」と私に内緒で友人の旦那に依頼したという。(結局、荷物が多いので持ってきてもらえず手に入らなかった。)
昨日は、見知らぬアフリカ人がトウモロコシの粉を届けてくれた。近所の薬局の前で出くわしたらしく、トウモロコシの粉の在庫があるか聞いたら分けてくれたという。
やれやれ。
私自身、昔から常にGiverでありたいという意識が強い。
物を貰ったり何かしてもらうよりも、自分が何かをあげたり、何かしてあげる方が喜びを感じるのだ。その方が、自分の成長にも繋がると信じている。夫は真逆のTakerだ。
日本では、友人の家に招待されると必ず手土産を持参する。夫の国では、招待した方が手土産を準備しなければ行けない。初めは遊びに来るアフリカ人の友人が、「これもくれ」「これもくれ」と残った食べ物などを根こそぎ持って帰ろうとすることに驚いた。
「人に頼む」という行為は恥ずべき無神経な行為に近い日本だが、夫の国では「親友の証」のようだ。文化の違いなので受け入れなければいけない。
神は、生涯Giverでありたいと願っている私を試したいのであろうか。 最も身近なところに潜む大敵「Taker」との闘いはまだ始まったばかりだ。