「涙」と「ため息」の卒園式

先週末は、息子の卒園式に参加した。

0歳から2歳児クラスまで通った小規模保育園を卒園し、この4月からは別の保育園に通うことになる。ひとクラス5人~7人の園児の保育を限られたスペースで行う小規模保育園は、園児も先生も家族のようにとても近い存在になる。担任の先生はとても若く、新卒でこの保育園に就職し初めて3年間継続して保育を行ったのが息子のクラスだとか。ママアフリカもびっくりするようなフレッシュで大きな愛情をすべての園児に注いでくれた。

毎日の保育生活から、恐らく出産後の私よりも母性に満ち溢れているのであろうこの担任の先生、卒園式の開始から終わりまでずっと大号泣。そんな先生の大号泣につられ園児のママ達も大号泣。主役である園児達は「先生、なんで泣いているの? 花粉症つらいの?」となぜ大人たちが号泣しているのか理解していない。そんな中、「はぁ~」と大きなため息が。隣を見ると、スウェットを着たアフリカ人の夫が、携帯でお笑い動画を見ながらため息をついている。私はハンカチで涙を拭きながら夫の様子を伺うと一言、”Too Much”(やりすぎだろ。)と吐き捨てた。その言葉を聞き一瞬で流れていた涙が乾いた私は、急に冷静に周りを分析し始めた。「確かに、主役である園児達は自分が卒園しているということを認識していないのに、大人だけが大号泣しているのは滑稽ではないか。」と心の声。

卒園式が終わって帰り道、「日本の卒園式はどうだった?」とアフリカ人の旦那に聞くと「厳粛すぎる、誰の卒園式かわからん、お葬式みたい、なんで泣く?」とネガティブワード続出(笑)。日本のお涙大好き文化に、カルチャーショックを受けた卒園式となった。

!祝! 山登りデビュー

先週末、息子を連れて山登りに北鎌倉へ。山登りと言っても距離は3~4kmのお気軽なハイキングコースだが、ちょうど紅葉がピークでところどころに難所もあり、生まれて初めて登山を経験する息子にとってはリーゾナブルなルートだった。まだまだベビーカーをこよなく愛する3歳で、疲れると容赦なく「抱っこ」を求めてくるので不安ではあったが、歩いている最中はずっとテンションが高く、見事に1人で歩き切ってデビューを飾ることが出来た。

私はもともと登山が大好きなことから、将来は息子を連れて日本だけでなく世界中の山々にチャレンジしたいと密かに思っている。「登山に行こう」と決めたときから下山するまでのすべてのプロセスが私は大好きだ。軽くて機能性の良い登山グッズを選び、生き延びるための最低限の物資をリュックに詰め込む。自分の呼吸を聞きながら前を歩く人の足元を見て黙々と歩く。足に負担がかからないようなルートを見つけ選びながら慎重に前へ進む。シンプルだけれども、生きていく上で最も重要な事と向き合う素晴らしい時間。その後に見る山頂からの景色。一緒に登山を経験する仲間は、自然にサポートしあい不思議と家族みたいな関係になる。山にパワーが宿っているのか、登山に行くといつも神秘的な経験をして感動する。

「大好きな家族と、こんな素晴らしい経験をこれから何度も共有していけるなんて幸せだな」と感極まって1人で盛り上がっていたのだが、アフリカ人の夫からは、「山登りの何が良いのか全くわからん」と一言で却下されたので、息子と2人で行こう!

「メンター制度」と「アフリカスラム」

※題名は、双方関連性はまったくなく、ただ2つのキーワードが同日に飛び込んできただけ。

昨日職場で「メンター研修」を受講した。

ここ最近、私の勤務先では中途採用で入社する社員が増えている。合わせてテレワーク制度が導入されるという環境下で、社員同士のコミュニケーションが希薄になっているという現状をどうにかしようと、人事部が10月よりメンター制度を取り入れた。

メンター(先輩)がメンティー(後輩。新しく入社した社員。)の面倒を半年間にわたってみると言うこの制度。月に1度メンターがメンティ―をランチ(ランチ代は会社負担)に連れて行き、悩みがないか、不安はないかなどを聞き出し、人事部に報告する。

1日かけて研修で学んだことは、「目を見て親身になり話を聞く」「不安を煽らないよう否定的な発言はさける」「月に1度のランチ以外でも、メンティーの様子を見て声をかけるようにし、暗い様子はないかなどを観察する。」「言いづらいことでも、なんでも話せるような関係性を作れるよう直球質問は避ける」「守秘義務は守る」など。

当たり前のような事だが、コミュニケーションをとる際に重要な点を再認識でき有意義な内容だと感じた。

その夜友人が、私に紹介したい女性がいると連絡がきた。その女性とはアフリカ最大級のスラム街で孤児たちでも通学できるフリースクールを30年ほど経営する日本人女性だった。

早速、彼女の活動を紹介する動画を見ていると、「雨の日は、盗電するために自分たちで引いた電線に触れ感電死する人が絶えない」や「警告なく政府のブルドーザーがやってきて、スラム内の一定の区域に建つ住居を一斉撤去する」「干ばつが続くと隣接されるゴルフ場から流れる下水で洗濯をして飲み水にもする」などの事例が紹介されていた。そこにアフリカ人の夫が帰ってきた。彼も幼少期から大人になるまでスラム街で育った経験を持つ。「このスラムはハードシップレベルが底抜けに高くて有名。現地の人たちでも、近づきがたいエリアだよ。この日本人女性はただ者ではないね~」とコメント。

ふと、このスラムで育った人達(アフリカ人の夫でも良いが。)が、今日私が受講したメンター研修を受けたら何を感じるだろう、きっと研修の意味すら理解できないだろうな。と感じた。(だから日常の生活でも夫婦間で価値観が全く違うことは納得できる。)

死ぬ間際でも死んだ後でもどっちでも良いが、「人生の価値を評価する人」みたいな人がいたら、どのように評価するだろう。

◆相手の気持ちを考え、相手が困っていたら「困っている」と言えるような関係性を自ら構築し、助けられることがあれば誠心誠意で助けることが出来た人生。

◆自分が生き残るために、苦労や不幸なことには目を向けず、周りと戦ってでも這い上がる力を得ることが出来た人生。

どちらも素晴らしい人生ではあるが、日本で生まれ育ったことに感謝した1日だった。

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家族旅行+α

7月の3連休は2泊3日で香川県へ。香川県へ移住した友人が、毎年この時期になると香川県のいいところをギューーーっと詰め込んだ旅行の提案を送ってくれる。遠浅で波が殆どない瀬戸内の海は、3歳の息子にとっては最高の遊び場で日が暮れるまで全身を使って動きまわる。

今年で3回目となる香川旅行は、私の旅好きな友人達の間で大人気。参加者は我が家含め大人10人子供3人と大所帯の旅となった。

アフリカ人の夫は、こうしたグループ旅行(もちろん外国人は彼だけだ。)に喜んで参加してくれる。はじめは日本語ばかりで会話に入れず申し訳ないという気持ちで、何とか輪に入れるよう英語で話したり共通の話題を探したりと気を遣ったが、あるとき、その気遣いが心地悪かったのか「僕のことは気にせず、友人と楽しんでくれていい。」と断言された。

それ以降、我々の旅行は常に「自由時間・自由行動」で成り立っている。皆、夫のことを理解し「自由」を与えてくれ、友人たちと日本語で盛り上がって話をしていても、となりでは、夫がパソコンで動画を見たり、アフリカの家族と電話で話したり、いびきをかいて寝ていたりとポレポレ感(スワヒリ語で、ゆっくりリラックスしての意)満載となる。

そんな中、息子もどっぷりポレポレに浸り、持ってきたオモチャでもくもくと遊んでくれる。

ふと、9人兄弟+α(近所の子や親せきの子が必ずいる)の大家族で育ったアフリカの夫の実家はいつもこんな感じだったんだろうなーーーっと感じる。1つ屋根の下、大勢が時間を共有するだけで得られる安心感の中、自分の好きなことに取り組む至福の時間。核家族が進む日本では得ることが難しくなっているこの至福の時間を、これからも息子に与えて続けて行きたいなぁっと思う。