「外食」には要注意

今年のゴールデンウィークは、家族で妹の住む沖縄へ。

泳ぐこと(完璧ではないが、潜りながら前へ進むことができる)が大好きな息子とビーチ巡りをしようと座間味島と渡嘉敷島へ那覇市の泊港よりフェリーで出かけた。5月の沖縄は、既に気温が高く梅雨入りはしていないが湿気を感じ、着いた初日はグッタリしたが、その後は天候に恵まれ快適に過ごすことができた。海の水はまだ冷たく、長時間海の中にいることは出来ないが、十分泳ぐことができ、シュノーケリングやビーチステイを満喫でき息子も大喜びだった。

我が家の外泊を伴う旅行は、キッチン付き宿泊施設が必須でAirbnbには毎度大変お世話になっている。しかしながら、今回はゴールデンウィーク中かつ小さな離島であったため手配することが出来ず、ビーチから徒歩5分ほどの小さな民宿に泊まった。民宿の庭には「ゆんたく」を楽しむスペースがあり、夕方になると近所の子供たちが集まり息子と遊んでくれ素敵な思い出ができた。

さて、なぜキッチン付き宿泊施設が必須かと言うと、アフリカ人の夫にとって「外食」がネックになるからだ。日本食が食べられないという訳ではない。外食にかかる費用対価に異常なくらいシビアであり、高額だと恐怖心を抱いているようにも見える。それが理由で日常生活でも外食はめったに行くことはない。唯一近所の中華料理店が800円でお腹一杯満たしてくれる刀削麺を提供してくれるので、それを食べにたまに出かけることがある程度だ。

ゴールデンウィーク中の、小さな離島。島の人々にとっては絶好の儲け時であり、家族総出で海の家やレストランを運営し我々観光客を精一杯もてなしてくれる。そんな中、価格設定に不満を感じ終始眉間にしわをよせてふてくされるアフリカ人の夫。「ステーキ200gで1,900円もするのにご飯もスープもつかないのはおかしい。」「まぐろ丼のご飯が硬くてパラパラだ」と店員に文句を言い続ける。決して値段が高い訳でもなく、味が悪い訳でもない、そして何よりすべて私が支払うのにだ!

旅行の醍醐味の1つでもある食事の席で、そんな夫と謝る店員を横目にキッチン付き宿泊施設の重要性を再認識し(「観光地の価格は、通常より高い」「ローカルフードを食すことも楽しみの1つ」「誠心誠意で対応してくれている店員に対し悪い態度でクレームをしない」ということを夫に理解させるのは不可能だと瞬時で判断。)今回手配できなかったことに胸を痛めた瞬間となった。

「涙」と「ため息」の卒園式

先週末は、息子の卒園式に参加した。

0歳から2歳児クラスまで通った小規模保育園を卒園し、この4月からは別の保育園に通うことになる。ひとクラス5人~7人の園児の保育を限られたスペースで行う小規模保育園は、園児も先生も家族のようにとても近い存在になる。担任の先生はとても若く、新卒でこの保育園に就職し初めて3年間継続して保育を行ったのが息子のクラスだとか。ママアフリカもびっくりするようなフレッシュで大きな愛情をすべての園児に注いでくれた。

毎日の保育生活から、恐らく出産後の私よりも母性に満ち溢れているのであろうこの担任の先生、卒園式の開始から終わりまでずっと大号泣。そんな先生の大号泣につられ園児のママ達も大号泣。主役である園児達は「先生、なんで泣いているの? 花粉症つらいの?」となぜ大人たちが号泣しているのか理解していない。そんな中、「はぁ~」と大きなため息が。隣を見ると、スウェットを着たアフリカ人の夫が、携帯でお笑い動画を見ながらため息をついている。私はハンカチで涙を拭きながら夫の様子を伺うと一言、”Too Much”(やりすぎだろ。)と吐き捨てた。その言葉を聞き一瞬で流れていた涙が乾いた私は、急に冷静に周りを分析し始めた。「確かに、主役である園児達は自分が卒園しているということを認識していないのに、大人だけが大号泣しているのは滑稽ではないか。」と心の声。

卒園式が終わって帰り道、「日本の卒園式はどうだった?」とアフリカ人の旦那に聞くと「厳粛すぎる、誰の卒園式かわからん、お葬式みたい、なんで泣く?」とネガティブワード続出(笑)。日本のお涙大好き文化に、カルチャーショックを受けた卒園式となった。

!祝! 山登りデビュー

先週末、息子を連れて山登りに北鎌倉へ。山登りと言っても距離は3~4kmのお気軽なハイキングコースだが、ちょうど紅葉がピークでところどころに難所もあり、生まれて初めて登山を経験する息子にとってはリーゾナブルなルートだった。まだまだベビーカーをこよなく愛する3歳で、疲れると容赦なく「抱っこ」を求めてくるので不安ではあったが、歩いている最中はずっとテンションが高く、見事に1人で歩き切ってデビューを飾ることが出来た。

私はもともと登山が大好きなことから、将来は息子を連れて日本だけでなく世界中の山々にチャレンジしたいと密かに思っている。「登山に行こう」と決めたときから下山するまでのすべてのプロセスが私は大好きだ。軽くて機能性の良い登山グッズを選び、生き延びるための最低限の物資をリュックに詰め込む。自分の呼吸を聞きながら前を歩く人の足元を見て黙々と歩く。足に負担がかからないようなルートを見つけ選びながら慎重に前へ進む。シンプルだけれども、生きていく上で最も重要な事と向き合う素晴らしい時間。その後に見る山頂からの景色。一緒に登山を経験する仲間は、自然にサポートしあい不思議と家族みたいな関係になる。山にパワーが宿っているのか、登山に行くといつも神秘的な経験をして感動する。

「大好きな家族と、こんな素晴らしい経験をこれから何度も共有していけるなんて幸せだな」と感極まって1人で盛り上がっていたのだが、アフリカ人の夫からは、「山登りの何が良いのか全くわからん」と一言で却下されたので、息子と2人で行こう!

夕食前のスナックタイム

以前、3年ほどインドに住んでいたことがある。

20歳で自立と刺激を求めて上京。がむしゃらに働いた10年を終え東京の生活が安定したことを皮切りに海外移住の欲望がわき始めたちょうどその頃、同僚の結婚式に招待され生まれて初めてインドを訪れた。カラフルな民族衣装や独特な宗教観などに魅了され、その翌年首都であるニューデリーで仕事を見つけ移住した。

日本と同じくらい(いや、それ以上かも)ユニークな文化をもつインドの生活は、生後30年以上をかけて構築された私の固定概念をことごとく打ち破ることになる。当時受けたカルチャーショックは数知れないが、その中の1つにスナックタイムの存在がある。日本にもおやつの時間は存在するが、それとは比ではないボリュームのおやつを17時頃に食べる。ストリートフード文化が浸透しているインドでは仕事後の帰宅道中でサモサやチョーレバトゥーレなどの癖になるスナックを安価で簡単に手に入れることができる。スナックのボリュームがそれなりにあるので「1日4食」と言っても過言ではない。17時ごろスナックを食べると必然的に夕食の時間は遅くなる。夜レストランへ外食に行くと、ちょうど我々が食べ終わる21時ごろからインド人の家族がぞろぞろ現れ満席になる。インド人の友人宅にホームスティに行っても晩御飯は遅く食後洗い物などはせずにすぐに就寝するお宅が多かったことを覚えている。「食後2時間は就寝しない」「食後すぐ寝ると牛になる」と言われて育った私には違和感があり、あり得ないと思った記憶がある。

さて、このあり得ないスナックタイム制度。現在我が家でもアフリカ人の夫により導入され習慣化されている。勤務後、私が帰宅するのは18時半ごろになるのだが、ちょうどそのころに夫と3歳になる息子はスナックタイム(食パン1枚)を楽しんでいる。ルールが少ないアフリカの家庭(9人も子供がいたらルールとか言っていられないだろう。)で育った夫には、空腹時に好きなものを食べることがとても幸せな事でそれを息子に夕食の時間まで我慢させるのは可哀そうだと感じているようだ。そして必ず夫は私のためにチャイをマグカップに並々注いで出してくれるのだ。仕事の頭を切り替えるのにチャイをのんびり飲んでボ~っと一息つけとポーレポレ指導が入る。始めは「夕食前にこんなに大量のチャイを飲むなんて」「のんびりしていたら19時に夕食食べて21時には就寝できない」と、固定概念との闘いが繰り広げられていたが、最近は30分くらいかけてチャイを飲みながら息子と保育園で何があったかなどを話す時間に充てる。その後のんびり夕食を準備し20時半ごろから夕食を食べる。

夜遅くに食事するのは、消化によくないのでは?太る原因になるのでは?と未だに違和感があるものの、帰宅後のチャイタイムは私のお気に入りの時間になりつつあると同時に夕食前のスナックタイムは息子のお気に入りの時間のようだ。

ポーレポーレなバイリンガル育児

ハーフの子供を持つと必ず聞かれるこの質問。

「お子さんは英語で育てているのですか?」

「もちろん!」と答えたいが、現実は程遠い。

日本の保育園で1日8時間は時間を過ごす息子にとって母国語は完全に「日本語」だ。ちなみに私は関西弁を話すが、息子は流暢な東京弁を話す。アフリカ人の夫は、私と話すときは英語、息子と話すときはなぜか拙い日本語になる。

息子を見ると大半の人たちは英語で話しかける。「日本語ペラペラだよ。」と言っても息子の顔を見ると一生懸命英語で話しかけようと思うほど、彼の外見は外国人だ。

そんな息子にはなるべく英語を問題なく話せるように育ってほしいというのが親心。

夫に英語で話すようにずっと言い続けているが「英語で話してもどうせ理解してくれないから。時期が来るまで待とう。」とまたポーレポーレ(スワヒリ語でゆっくりゆっくりという意)な回答。それじゃ遅いよ。とせっかちな私。

3歳半になった今、いろんな事を理解し始めてきている息子は自分がハーフだという事に気づき始めている。「これは英語でなんて言うの?」と聞くことが多くなった。今が時期だ!

と思った矢先、同じ悩みを持つアフリカ人妻の友人に会った。

彼女は7歳と5歳の子供がいる。彼女のアフリカ人の夫が、子供を叱るときに、間違った日本語をよく使うそうだ。2人の子供たちは笑いをこらえて、叱っている父親と対話をしているらしい。その話を夫に話したその瞬間、夫は息子に英語で話しかけるようになった。

継続できるかはわからないが、バイリンガル育児のスタート地点につけた気がする。

家族旅行+α

7月の3連休は2泊3日で香川県へ。香川県へ移住した友人が、毎年この時期になると香川県のいいところをギューーーっと詰め込んだ旅行の提案を送ってくれる。遠浅で波が殆どない瀬戸内の海は、3歳の息子にとっては最高の遊び場で日が暮れるまで全身を使って動きまわる。

今年で3回目となる香川旅行は、私の旅好きな友人達の間で大人気。参加者は我が家含め大人10人子供3人と大所帯の旅となった。

アフリカ人の夫は、こうしたグループ旅行(もちろん外国人は彼だけだ。)に喜んで参加してくれる。はじめは日本語ばかりで会話に入れず申し訳ないという気持ちで、何とか輪に入れるよう英語で話したり共通の話題を探したりと気を遣ったが、あるとき、その気遣いが心地悪かったのか「僕のことは気にせず、友人と楽しんでくれていい。」と断言された。

それ以降、我々の旅行は常に「自由時間・自由行動」で成り立っている。皆、夫のことを理解し「自由」を与えてくれ、友人たちと日本語で盛り上がって話をしていても、となりでは、夫がパソコンで動画を見たり、アフリカの家族と電話で話したり、いびきをかいて寝ていたりとポレポレ感(スワヒリ語で、ゆっくりリラックスしての意)満載となる。

そんな中、息子もどっぷりポレポレに浸り、持ってきたオモチャでもくもくと遊んでくれる。

ふと、9人兄弟+α(近所の子や親せきの子が必ずいる)の大家族で育ったアフリカの夫の実家はいつもこんな感じだったんだろうなーーーっと感じる。1つ屋根の下、大勢が時間を共有するだけで得られる安心感の中、自分の好きなことに取り組む至福の時間。核家族が進む日本では得ることが難しくなっているこの至福の時間を、これからも息子に与えて続けて行きたいなぁっと思う。

パパの魔法のスティック

5月で3歳になった息子が、反抗期の始まりかここ1ケ月くらいワガママが目立つ。気に入らないことがあると甲高い声で「キャー」と叫んだり、ご飯を食べなかったり、保育園へ行きたがらなかったり…。これまでイヤイヤ期などなかったのでどのように対応していけばいいのか悩ましい。基本的には私は怒らない。(と言うか怒れない。)怒るのはアフリカ人の夫の役目だ。夫にはお仕置き用の魔法のスティック「菜箸」がある。悪いことと良いことの分別が付くようになった1歳半ごろに、この魔法のスティックが誕生した。

ふざけて物を投げたり、片づけをせずテレビを付けたりすると「パパ怒る」(つたない日本語の決まり文句)と言い、鞭を打つように菜箸で息子の足をパチンっとぶつ。痛みを伴う体罰というよりは、可愛らしいお仕置きだ。高いところから転倒して頭を激しくぶつけても、めったに泣かない痛みに強い息子だが、このお仕置きだけは何よりも恐怖のようだ。

夫が菜箸をもって息子に近づいた瞬間に、息子の顔が恐怖で凍り付きまるでネズミのようにすばしっこく逃げる。夫の怒りがおさまらず「パチン」と一発でも入ると大きな目から大粒の涙をポロポロこぼして泣き始めたかと思うと、今までのおふざけをやめ言われた通りにする。息子の気持ちを一瞬で変えてしまうこの魔法のスティック。私が使用しても効果はゼロ、夫限定のスーパーアイテムだ。 「ほめて育てるなんて綺麗ごと。自分たちは老いていく一方だが、子供はどんどん大きくなりパワーアップしていく。体や考え方が、自分より大きくなっていく子供たちを責任もって育てていくには、怒ることも必要だ。」と、夫は息子を怒れない私へメッセージを送り続けている。

ストレスサインを見逃すな!

ここ最近、アフリカ人の夫のズル休みが目につく。

夫婦間では「明日有給をとる」というような連絡は基本的には取り合わないのだが、いつも早朝に家を出る夫が朝起きるとチャイを飲みながらテレビを見ているので「今日は休み?」ときくと「病欠にした。ストレスがひどく回復には2日かかると思う」と答えが返ってくる。

「具合悪いの?どんな症状?」と聞くと決まって「心が痛むんだ。」と何とも乙女チックな回答。日本でよく耳にするストレスサインは、睡眠障害や食欲不振、肩こりやめまいなど身体に症状が出始めているものをさすことが多いような気がするが、夫はそこまでに到達する前の段階でストレス解消を行っているようだ。勤務先のマネージャーと気が合わず、口喧嘩をした次の日は大体病欠を取っている。既に病欠の残数はないだろうから減給になっていると思うがそんなことはお構いないようだ。(居酒屋に飲みに行くことは避け、コンビニでビールを買って公園で飲むことが常であるスーパー節約家の夫なのにだ。)

夜、私が帰宅して「今日はゆっくりできた?何してたの?」と聞くと「1日中コメディー番組を見て笑いまくった」と嬉しそうに話す。「でも念のため明日も休もう!」と大体2日間療養に充てる。社会人生活24年になる私だが、人間関係で心が痛んだことは数えきれないくらいあるが、ストレスで会社を休んだことは1度もない。人間関係を上手に構築するためには自分の意見や考えを全面に出すことは控え、まずは相手に合わせることが最良だとサラリーマン生活で学んだことだ。

昔インドで働いたことがあったが、インド人も病欠を取ることが多かった。インド人の同僚に「病欠は今まで取ったことがない。会社の人に迷惑かけたくないから。」と話したことがあったが、「私にはそういう考えは全くない。自分が一番大切だから。」とスパッと言われたことがあった。

今日は七夕。息子の保育園で作る短冊を今年は旦那が記載した。

“Hope understanding who I am earlier” (いち早く自分を理解できますように)

この願いを理解できる人が日本にはどのくらいいるのだろうか。

自分が自分であるために最善を尽くす夫と、他人のために自己犠牲を払いがちな私。

どちらが良い悪いではないが、息子には自分自身を十分愛し、かつ他人も愛せるような柔軟性や忍耐力のある大人に育ってほしい。

アンガーマネジメントの実践

「出産」「結婚」「他人との同居」という人生の転換期ビッグスリーを、41才で初めて経験した私は、それに順応するのに1年くらいの時間を要した。特に「他人との同居」は乗り越えなければいけない大きな壁となった。

それまで自由気ままに独身生活を謳歌していた私は、これまでの日常生活が誰からも邪魔されることのない自分の理想郷だったのだという事を思い知る。アフリカ人の夫との同居生活の中で、自分の理想が通らないと不満を感じ、それが怒りとなって夫に八つ当たりするといった事が日常的に起こった。理想と言っても、とても些細な事。食事を始めるのは、皆がテーブルに揃って「いただきます」と言ってから。週末はできるだけ家族で過ごす。就寝2時間前は食事を避ける。時間を守る。など。理想というより当たり前のことだと思っていた。(アフリカ人の夫にとっては当たり前の事ではない。)

そんなある日、「君はアンガーマネジメントを学ぶ必要がある。」と夫より提案がある。夫も夫なりに悩んでいたのだろう。アンガーマネジメントという言葉を始めて聞いた私は、1冊教本(マンガで解説されている簡単なもの)を読んでみた。そこには、アンガーマネジメント実践に役立つ方法などが5~6項目掲載されていたが、その中で一番簡単そうな「怒りが発生したら7秒我慢する。」という作法を日々の生活に取り入れることにした。実践し始めて1ケ月で効果が見られる。怒る回数が断然に減ったのだ。実践して1年経った今、私の中の怒りという感情はほぼ消滅した。

私の怒りの感情は、

「食事は家族そろって頂きますっと言ってから食べるべきなのに、私を待たず先に食べ始めるなんて・・・!息子に悪影響を与えるじゃないか!ムカーーーーーーっ!」 7秒沈黙を保つ。苦しい時は目を閉じて深呼吸する。その間に色んな思考が頭の中を駆け巡る。「もしかして、待つことも難しいくらい美味しそうな食事を作った私が悪いのかもしれない。息子は保育園でちゃんといただきますという日本のマナーを教えているからまぁ、そこは妥協したらいいか。大きくなって物事が理解できるようになってきたら、パパはお行儀が悪いんだよと伝えよう。」そんな私の前で、ニコニコと幸せそうにおいしそうに食事を食べる旦那を見ていると「細かいこというのはやめよう。私も早く食べよう。」 っとなる。

それを繰り返すうちに、『食事を始めるのは、皆がテーブルに揃って「いただきます」と言ってから。』という理想という名の昔からの習慣がどうでもよいものに変わっていき、「ムカ――――」っという感情すらわかなくなっていったのである。「諦め」ともとれるかもしれないが、自分の怒りで他人に不愉快な思いをさせるという危害は発生しない。ここ最近は夫の方から、「いただきます」と言ったりするようになった。食べる前に感謝し祈ることはクリスチャンである夫にとっても普通のことで、今までは私の怒りへの反発で、あまりいうことを聞いてくれなかったのだなぁっと思い始める。

このエクササイズは、職場でもずいぶん役に立ち、私の性格を穏やかなものに変えてくれた。夫からは「最近怒らないね。僕のアドバイスのお蔭さ。」と得意げに言われた。「いや、あの読みやすく解説されていた教本のお陰。そして実践した私もほめてよ。。。」とは言わずに7秒後に「Thanks!」と笑顔で伝えた。

誘拐事件に備える

先週は、息子の保育園で保護者面談があった。15分程度の面談だが、保育園や家庭での息子の様子や、困っていることなどを担任の先生と共有しあう貴重な時間だ。いつもご機嫌な息子は特に問題などもなく、話題はいつも彼の運動神経が優れているという話に流れる。今回も、アスレチックや鉄棒が大得意な息子に触発されて他の子供たちが色んなことに挑戦しているという報告を受けた。

1歳まで専業主夫であったアフリカ人の夫に育てられた息子は、同月齢の子供と比較して座るのも、歩くのも、走るのも、階段に上りはじめるのも、かなり早い時期からできるようになった。ジムインストラクターという職業柄もあるのか、何をするにも付加をかけて息子にトレーニングさせる。例えば、歩き始めて間もない時期から、ジャングルジムを片手にサッカーボールを持たせて登らせたり、高さのあるアスレチックでもサポートはしなかったりと、かなりスパルタに色んな事に挑戦させた。アフリカ人の夫は、「息子には誘拐事件にあったら、助けを待ち続ける子供ではなく、自ら逃げ出す方法を考え、恐れずに実行できる運動神経を兼ね備えた子供に育ってほしい。」と目を輝かせながら語る。日本では、なかなか聞かない育児方針だなっと思いつつも、忍耐力や強さは培ってほしいというところは同感である。しかし、それをどうやって教えていくかという具体案は私にはまったく無かったなと反省。おかげで息子は、3歳児とは思えないくらいの運動神経を身につけ、すくすくと育っている。

数字は、「3」を一番に覚えた。我が家はマンションの3階。夫は階段を登り3階に到着すると必ず息子に、階数表示の3を何度も指でなぞり、「ここがお前の家だぞ。ポコポコっと山が2つあるところだ。」っと教える。これも誘拐に備えてとのことだ。