家族旅行+α

7月の3連休は2泊3日で香川県へ。香川県へ移住した友人が、毎年この時期になると香川県のいいところをギューーーっと詰め込んだ旅行の提案を送ってくれる。遠浅で波が殆どない瀬戸内の海は、3歳の息子にとっては最高の遊び場で日が暮れるまで全身を使って動きまわる。

今年で3回目となる香川旅行は、私の旅好きな友人達の間で大人気。参加者は我が家含め大人10人子供3人と大所帯の旅となった。

アフリカ人の夫は、こうしたグループ旅行(もちろん外国人は彼だけだ。)に喜んで参加してくれる。はじめは日本語ばかりで会話に入れず申し訳ないという気持ちで、何とか輪に入れるよう英語で話したり共通の話題を探したりと気を遣ったが、あるとき、その気遣いが心地悪かったのか「僕のことは気にせず、友人と楽しんでくれていい。」と断言された。

それ以降、我々の旅行は常に「自由時間・自由行動」で成り立っている。皆、夫のことを理解し「自由」を与えてくれ、友人たちと日本語で盛り上がって話をしていても、となりでは、夫がパソコンで動画を見たり、アフリカの家族と電話で話したり、いびきをかいて寝ていたりとポレポレ感(スワヒリ語で、ゆっくりリラックスしての意)満載となる。

そんな中、息子もどっぷりポレポレに浸り、持ってきたオモチャでもくもくと遊んでくれる。

ふと、9人兄弟+α(近所の子や親せきの子が必ずいる)の大家族で育ったアフリカの夫の実家はいつもこんな感じだったんだろうなーーーっと感じる。1つ屋根の下、大勢が時間を共有するだけで得られる安心感の中、自分の好きなことに取り組む至福の時間。核家族が進む日本では得ることが難しくなっているこの至福の時間を、これからも息子に与えて続けて行きたいなぁっと思う。

パパの魔法のスティック

5月で3歳になった息子が、反抗期の始まりかここ1ケ月くらいワガママが目立つ。気に入らないことがあると甲高い声で「キャー」と叫んだり、ご飯を食べなかったり、保育園へ行きたがらなかったり…。これまでイヤイヤ期などなかったのでどのように対応していけばいいのか悩ましい。基本的には私は怒らない。(と言うか怒れない。)怒るのはアフリカ人の夫の役目だ。夫にはお仕置き用の魔法のスティック「菜箸」がある。悪いことと良いことの分別が付くようになった1歳半ごろに、この魔法のスティックが誕生した。

ふざけて物を投げたり、片づけをせずテレビを付けたりすると「パパ怒る」(つたない日本語の決まり文句)と言い、鞭を打つように菜箸で息子の足をパチンっとぶつ。痛みを伴う体罰というよりは、可愛らしいお仕置きだ。高いところから転倒して頭を激しくぶつけても、めったに泣かない痛みに強い息子だが、このお仕置きだけは何よりも恐怖のようだ。

夫が菜箸をもって息子に近づいた瞬間に、息子の顔が恐怖で凍り付きまるでネズミのようにすばしっこく逃げる。夫の怒りがおさまらず「パチン」と一発でも入ると大きな目から大粒の涙をポロポロこぼして泣き始めたかと思うと、今までのおふざけをやめ言われた通りにする。息子の気持ちを一瞬で変えてしまうこの魔法のスティック。私が使用しても効果はゼロ、夫限定のスーパーアイテムだ。 「ほめて育てるなんて綺麗ごと。自分たちは老いていく一方だが、子供はどんどん大きくなりパワーアップしていく。体や考え方が、自分より大きくなっていく子供たちを責任もって育てていくには、怒ることも必要だ。」と、夫は息子を怒れない私へメッセージを送り続けている。

ストレスサインを見逃すな!

ここ最近、アフリカ人の夫のズル休みが目につく。

夫婦間では「明日有給をとる」というような連絡は基本的には取り合わないのだが、いつも早朝に家を出る夫が朝起きるとチャイを飲みながらテレビを見ているので「今日は休み?」ときくと「病欠にした。ストレスがひどく回復には2日かかると思う」と答えが返ってくる。

「具合悪いの?どんな症状?」と聞くと決まって「心が痛むんだ。」と何とも乙女チックな回答。日本でよく耳にするストレスサインは、睡眠障害や食欲不振、肩こりやめまいなど身体に症状が出始めているものをさすことが多いような気がするが、夫はそこまでに到達する前の段階でストレス解消を行っているようだ。勤務先のマネージャーと気が合わず、口喧嘩をした次の日は大体病欠を取っている。既に病欠の残数はないだろうから減給になっていると思うがそんなことはお構いないようだ。(居酒屋に飲みに行くことは避け、コンビニでビールを買って公園で飲むことが常であるスーパー節約家の夫なのにだ。)

夜、私が帰宅して「今日はゆっくりできた?何してたの?」と聞くと「1日中コメディー番組を見て笑いまくった」と嬉しそうに話す。「でも念のため明日も休もう!」と大体2日間療養に充てる。社会人生活24年になる私だが、人間関係で心が痛んだことは数えきれないくらいあるが、ストレスで会社を休んだことは1度もない。人間関係を上手に構築するためには自分の意見や考えを全面に出すことは控え、まずは相手に合わせることが最良だとサラリーマン生活で学んだことだ。

昔インドで働いたことがあったが、インド人も病欠を取ることが多かった。インド人の同僚に「病欠は今まで取ったことがない。会社の人に迷惑かけたくないから。」と話したことがあったが、「私にはそういう考えは全くない。自分が一番大切だから。」とスパッと言われたことがあった。

今日は七夕。息子の保育園で作る短冊を今年は旦那が記載した。

“Hope understanding who I am earlier” (いち早く自分を理解できますように)

この願いを理解できる人が日本にはどのくらいいるのだろうか。

自分が自分であるために最善を尽くす夫と、他人のために自己犠牲を払いがちな私。

どちらが良い悪いではないが、息子には自分自身を十分愛し、かつ他人も愛せるような柔軟性や忍耐力のある大人に育ってほしい。

アンガーマネジメントの実践

「出産」「結婚」「他人との同居」という人生の転換期ビッグスリーを、41才で初めて経験した私は、それに順応するのに1年くらいの時間を要した。特に「他人との同居」は乗り越えなければいけない大きな壁となった。

それまで自由気ままに独身生活を謳歌していた私は、これまでの日常生活が誰からも邪魔されることのない自分の理想郷だったのだという事を思い知る。アフリカ人の夫との同居生活の中で、自分の理想が通らないと不満を感じ、それが怒りとなって夫に八つ当たりするといった事が日常的に起こった。理想と言っても、とても些細な事。食事を始めるのは、皆がテーブルに揃って「いただきます」と言ってから。週末はできるだけ家族で過ごす。就寝2時間前は食事を避ける。時間を守る。など。理想というより当たり前のことだと思っていた。(アフリカ人の夫にとっては当たり前の事ではない。)

そんなある日、「君はアンガーマネジメントを学ぶ必要がある。」と夫より提案がある。夫も夫なりに悩んでいたのだろう。アンガーマネジメントという言葉を始めて聞いた私は、1冊教本(マンガで解説されている簡単なもの)を読んでみた。そこには、アンガーマネジメント実践に役立つ方法などが5~6項目掲載されていたが、その中で一番簡単そうな「怒りが発生したら7秒我慢する。」という作法を日々の生活に取り入れることにした。実践し始めて1ケ月で効果が見られる。怒る回数が断然に減ったのだ。実践して1年経った今、私の中の怒りという感情はほぼ消滅した。

私の怒りの感情は、

「食事は家族そろって頂きますっと言ってから食べるべきなのに、私を待たず先に食べ始めるなんて・・・!息子に悪影響を与えるじゃないか!ムカーーーーーーっ!」 7秒沈黙を保つ。苦しい時は目を閉じて深呼吸する。その間に色んな思考が頭の中を駆け巡る。「もしかして、待つことも難しいくらい美味しそうな食事を作った私が悪いのかもしれない。息子は保育園でちゃんといただきますという日本のマナーを教えているからまぁ、そこは妥協したらいいか。大きくなって物事が理解できるようになってきたら、パパはお行儀が悪いんだよと伝えよう。」そんな私の前で、ニコニコと幸せそうにおいしそうに食事を食べる旦那を見ていると「細かいこというのはやめよう。私も早く食べよう。」 っとなる。

それを繰り返すうちに、『食事を始めるのは、皆がテーブルに揃って「いただきます」と言ってから。』という理想という名の昔からの習慣がどうでもよいものに変わっていき、「ムカ――――」っという感情すらわかなくなっていったのである。「諦め」ともとれるかもしれないが、自分の怒りで他人に不愉快な思いをさせるという危害は発生しない。ここ最近は夫の方から、「いただきます」と言ったりするようになった。食べる前に感謝し祈ることはクリスチャンである夫にとっても普通のことで、今までは私の怒りへの反発で、あまりいうことを聞いてくれなかったのだなぁっと思い始める。

このエクササイズは、職場でもずいぶん役に立ち、私の性格を穏やかなものに変えてくれた。夫からは「最近怒らないね。僕のアドバイスのお蔭さ。」と得意げに言われた。「いや、あの読みやすく解説されていた教本のお陰。そして実践した私もほめてよ。。。」とは言わずに7秒後に「Thanks!」と笑顔で伝えた。

誘拐事件に備える

先週は、息子の保育園で保護者面談があった。15分程度の面談だが、保育園や家庭での息子の様子や、困っていることなどを担任の先生と共有しあう貴重な時間だ。いつもご機嫌な息子は特に問題などもなく、話題はいつも彼の運動神経が優れているという話に流れる。今回も、アスレチックや鉄棒が大得意な息子に触発されて他の子供たちが色んなことに挑戦しているという報告を受けた。

1歳まで専業主夫であったアフリカ人の夫に育てられた息子は、同月齢の子供と比較して座るのも、歩くのも、走るのも、階段に上りはじめるのも、かなり早い時期からできるようになった。ジムインストラクターという職業柄もあるのか、何をするにも付加をかけて息子にトレーニングさせる。例えば、歩き始めて間もない時期から、ジャングルジムを片手にサッカーボールを持たせて登らせたり、高さのあるアスレチックでもサポートはしなかったりと、かなりスパルタに色んな事に挑戦させた。アフリカ人の夫は、「息子には誘拐事件にあったら、助けを待ち続ける子供ではなく、自ら逃げ出す方法を考え、恐れずに実行できる運動神経を兼ね備えた子供に育ってほしい。」と目を輝かせながら語る。日本では、なかなか聞かない育児方針だなっと思いつつも、忍耐力や強さは培ってほしいというところは同感である。しかし、それをどうやって教えていくかという具体案は私にはまったく無かったなと反省。おかげで息子は、3歳児とは思えないくらいの運動神経を身につけ、すくすくと育っている。

数字は、「3」を一番に覚えた。我が家はマンションの3階。夫は階段を登り3階に到着すると必ず息子に、階数表示の3を何度も指でなぞり、「ここがお前の家だぞ。ポコポコっと山が2つあるところだ。」っと教える。これも誘拐に備えてとのことだ。

誕生日プレゼント制度の廃止

息子の3歳の誕生日から一週間が経過。リビングの飾りをそろそろ片付けなければと思いつつ週末まではいいかと思いつつ。

1歳~2歳の誕生日は、プレゼント自体が何なのかわからないだろう思い特に何かをあげたりはしなかったが、3歳になる今年は物欲も見え始め、大好きな電車のおもちゃでも買ってあげようかと下調べをしていた。アフリカ人の夫に、「プレゼント、これにしようかと。」っと相談したところ「十分におもちゃを持っている。これ以上は不要。誕生日だからと言って無理に不要なものを買う必要はない」と言われた。夫の幼少期は、誕生日にプレゼントをもらうことはなく、生涯1人に1個おもちゃが与えられただけだという。夫は9人兄弟。確かに毎年9人におもちゃを買い与えていたら、家計に響くし家中がおもちゃだらけになる。1つのおもちゃを大切にボロボロになるまで使ったらしい。

誰が決めたのか知らないが、日本では誕生日プレゼントが制度化されている。子供の楽しみであり親の楽しみでもある。ミニマリストやシンプルライフという言葉がトレンドになってきているこのご時世、誕生日プレゼント制度廃止は粋な決断ではないかっと思い取り入れることに。幸いなことに、誕生日とは関係なく様々な人からお古のおもちゃをいただくので息子に肩身の狭い思いを強いている訳でもない。息子には現状に満足する創造力を身につけてほしいと思う。

先日キャンプにでかけた際、息子がボールで遊びたいと言い始めた。アフリカ人の夫は、チャッチャとごみ袋を丸めてビニール紐をぐるぐる巻きにして野球ボールくらいの大きさのボールを作り、息子を満足させていた。夫がいなかったら私は諦めることしか教えることができなかっただろうと物質社会に依存する創造力の乏しさを痛感した。

とはいえ、プレゼント制度完全撤廃には少し申し訳ないかと感じるところもありリビングを派手に飾り立て写真に残すことに。40年超かけて培った常識や習慣をいきなり変えることは簡単ではないなと、ポレポーレ(スワヒリ語で「時間をかけてゆっくりと」の意)で無理なく行こうと自分に言い聞かせる。

陣痛が始まったら走れ!?

息子が生まれた3年前の今頃、我が家はとても賑やかだった。アフリカから夫の「ママ」と妹が息子の出産に合わせて1か月ほど来日していた。外国を訪れるのは初めて。パスポートの発行から手続きをせねばと思っていたら、出生届が見当たらない。夫の国には戸籍が確実に存在するわけではない。ママは70年近く出生届の申請をせず生きていたようだ。毎週通っている近所の教会の牧師さんに出生届を70年遡って作成してもらい、5,000円ほどの裏金を何回か支払い何とかパスポートとビザが発行できた。半分諦めかけていたが、無事息子の出産前に来日できた。

出産予定日当日、朝から陣痛のような腹痛が始まる。うずくまって動かない私にママは「走りに行こう」の一言。分娩を短く楽にするためには動きまわることが重要だという。ママに連れられ近所の公園を少し走っては、うずくまって陣痛が去るのを待ち、またゆっくり走り出すことを2時間ほど必死で繰り返した。帰宅後早々に破水、誰よりも早く陣痛タクシーに乗り込んだのはママだった。破水した後、羊水がなくなるまでに出産しないと帝王切開になるという。病院についたころには、羊水は半分ほどしか残っていなかった。大急ぎで分娩室へ連れられ8時間後に無事自然分娩にて息子が生まれた。

人生をなるべくカラフルに彩りたいという願望が昔から強く、できる限りリスクテイカーでいようというのが私のポリシーだ。第一子を41歳で高齢出産にも関わらず、出産前のマラソンはリスクテイクしすぎたかと反省したが、ママによく似た大きな目をした息子と出会った喜びですべてが笑い話となった。

赤ちゃんが泣き止まない3つの理由

息子が生後2か月の時に仕事に復帰。私が仕事で不在の間は、アフリカ人の夫が仕事を辞めて専業主夫になり、育児に専念してくれた。専念っと言っても、かなりお気楽な育児である。泣くとミルクを大量にあげ、あとはベッドの上に放置。

ここで夫が実践した「ママ」の教えは、「常にお腹を満たすこと」だ。赤ちゃんが泣きやまない理由は3つあるという。1つ目は空腹のサイン、2つ目にオムツが気持ち悪いというサイン、3つ目にどこかが痛いというサイン。

夫の子育てプロセスは至ってシンプルだ。息子が泣くとまず、オムツをチェック。それでも泣き止まなければ、ミルクを飲まなくなるまで飲ませる。それでも泣き止まなければ、どこか痛いというサインなので病院に連れて行く。我が家の息子は大体お腹がいっぱいになると機嫌がよくなり泣くのをやめた。どれだけミルクを飲ませるかは、息子の機嫌が決める。もちろん、育児書や粉ミルクのメーカーが推奨する量などは全く参考にしない。なので実際、息子がどれだけの量のミルクを飲んでたのかは謎である。私は息子が太るのではないかとても心配ではあったけど、仕事に行ってしまえば後の祭り。帰宅後、哺乳瓶にお砂糖たっぷりのチャイが入っていた時はさすがに驚き、「カフェインとかお砂糖は、赤ちゃんには早いのでは」と意見したが、「美味しそうに飲んでた」と嬉しそうな顔で報告された。

ともあれ、常にお腹を満たされて育った息子は、夜泣きや理由なく泣き続けることは一切なく、常にご機嫌でとても穏やかな性格に育った。遺伝子の違いもあるとは思うが体格は同じ年齢の子供と比べて一回り大きい。しかし今のところ太ってはいない。ミルクの量が息子の穏やかな性格形成にどれだけ関与しているかは誰にも証明できないが、少しは影響しているのではと密かに思っている。

3歳、お誕生日おめでとう!

今日息子が3歳に!この3年間、初めてのことだらけだった。

っと言っても我が家は、母親である私が一家をささえる大黒柱として働いているので育児はアフリカ人の夫がメインで担っている。9人兄弟の4番目に生まれ育った夫は、育児書やインターネットなどの情報を何一つ参考にせず、兄弟の子育てを手伝っていた時の記憶だけで立派に息子を育て上げている。(親バカだが。)

そんな夫が唯一信頼している育児のお手本が自分の「ママ」だ。「ママは、こうしていた、こう言っていた」とよく口にするので、「ちっ、このマザコン野郎め」と話半分に聞きながしていたが、「ママ」の教えは真っ当ではないかっと思ったことがこの3年の間に何度もあった。夫の「ママ」は自分の子供9人以外に、両親と死別した孫3人、家族に恵まれなかった近所の子供を2人、自分の夫と愛人の間にできた子供2人と、合計16人を育てあげた。少子化が進む日本では信じられない数字だが、アフリカではよくある話らしい。子育ての経験値が圧倒的に高いのだ。

そんなアフリカ人の夫と義母を通して学ぶ、シンプルだけど時に厳しいアフリカ式子育て日記をこれから書き留めていこうと思う。

まずは息子よ、3年間健やかに育ってくれてありがとう!