息子が生まれた3年前の今頃、我が家はとても賑やかだった。アフリカから夫の「ママ」と妹が息子の出産に合わせて1か月ほど来日していた。外国を訪れるのは初めて。パスポートの発行から手続きをせねばと思っていたら、出生届が見当たらない。夫の国には戸籍が確実に存在するわけではない。ママは70年近く出生届の申請をせず生きていたようだ。毎週通っている近所の教会の牧師さんに出生届を70年遡って作成してもらい、5,000円ほどの裏金を何回か支払い何とかパスポートとビザが発行できた。半分諦めかけていたが、無事息子の出産前に来日できた。
出産予定日当日、朝から陣痛のような腹痛が始まる。うずくまって動かない私にママは「走りに行こう」の一言。分娩を短く楽にするためには動きまわることが重要だという。ママに連れられ近所の公園を少し走っては、うずくまって陣痛が去るのを待ち、またゆっくり走り出すことを2時間ほど必死で繰り返した。帰宅後早々に破水、誰よりも早く陣痛タクシーに乗り込んだのはママだった。破水した後、羊水がなくなるまでに出産しないと帝王切開になるという。病院についたころには、羊水は半分ほどしか残っていなかった。大急ぎで分娩室へ連れられ8時間後に無事自然分娩にて息子が生まれた。
人生をなるべくカラフルに彩りたいという願望が昔から強く、できる限りリスクテイカーでいようというのが私のポリシーだ。第一子を41歳で高齢出産にも関わらず、出産前のマラソンはリスクテイクしすぎたかと反省したが、ママによく似た大きな目をした息子と出会った喜びですべてが笑い話となった。